さざれ石

「君が代」で歌われた『さざれ石』

どこの国でも、国の重要な行事や式典では、国旗を掲げ、国歌を演奏します。

日本の国歌は、「君が代」です。ところが、学校では、近年まで入学式や卒業式でほとんど歌われてきませんでした。現在も、歌の由来や意味は、ほとんど教えられていないようです。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

いわおとなりて こけのむすまで

歌詞にある「君」とは、天皇を意味しています。そして、この歌は、天皇のおられるこの国が、小さな石が岩となり、その上に苔が生えるほどまでに永く、平和で繁栄することを願う歌です。岩が小さくなるというのなら分かりますが、小さな石が固まって本当に大きな岩となるのでしょうか。この疑問に答えてくれる「ざされ石」が、実在します。

岐阜県揖斐郡春日村に、その「ざされ石」があります。

「ざされ石」は学名「石灰質角れき岩」といい、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が、次第に小石を凝結させ、だんだん巨岩となり、河川の浸食により地表に露出、苔むしたものです。
「ざされ石」は、岐阜県の天然記念物に指定されています。皇居・伊勢神宮・明治神宮などに奉納されています。 

福島県ホテル屋上内にある『さざれ石』

屋上全体像

春日村には、「君が代」にまつわる伝説があります。平安時代の初め、文徳天皇の第一皇子に、惟喬親王(これたかしんのう)がおられました。天皇は親王を皇太子に推すつもりでした。しかし、事情により親王は、年下の第四皇子(後の清和天皇)に皇子の座を先んじられることとなりました。悲運の親王は一時、近江の小椋郷に隠れ住みました。やがて親王はその地で、お椀や鉢などを作る木地師(きじし)の祖神とされるようになったのです。

 ある時、親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ヶ畑から,良材を求めて、春日の地へやってきました。そして、君ヶ畑に向かう途中、川辺でめずらしい石を目にしたのです。それは「さざれ石」の巨岩でした。男は心を打たれ、見たまま感じたま歌を詠みました。

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 

巌となりて 苔のむすまで

 この歌は都で評判を呼ぴ、ついには『古今集』に採録されることとなりました。男は身分が低かったため、「よみ人知らず」の歌とされたのです。その後、男は朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん」という名前を賜りました。この歌が民衆に歌い継がれる間に、「君が代は」と歌われるようになっていったのです。

「君が代」には、小石が巌となり、その上に苔がむすという、偉大な自然の働きへの感動が盛られているようです。そして、自然の法則にそって生きる時にこそ、永遠の平和と繁栄があるという願いも込められているとも言えましょう。

当社のつくばいに設置した『さざれ石』

左画像の左奥にある『さざれ石』のアップ

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